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2022/01/05 14:53

昨年暮れに高円寺のtataさんでの企画展NAKEDLANDSCAPE終刊企画「目のまえの風景」に合わせて協力させていただいた際に、この薄いカタログに言及していただきました。そのお陰様もあり、お問い合わせもいくつかありました。
そんなわけで店主としては封印していたものなのですが、改めて開いてみたところ店主連れ合いの廣瀬豊のテキストが割とよく書けている。
このカタログが発行されたのは1995年、今から約30年前に書いた割によく書けていると本人も私も思います。
ということで豊(61歳)に見せたところ、文字を一文字づつ拾って入力し始めました。
オイオイちょっと待てと(笑)・・・次男(
17歳)に今のOCR技術の説明してもらっている間にテキストデータ化して渡し、豊本人の校正を経て全文届いたので、ここに豊のテキストだけ全文掲載いたします。
(その内、伊藤さんの書いたテキストもデータ化しますが、ひとまず・・・豊の部分だけ)
現代音楽入門にぜひご一読ください。
All rights reserved Yutaka Hirose )


この暮れに懐かしい冊子を発見。1996年に清里現代美術館にて行われた「抵抗の音楽展」のカタログです。この時は対象のなる作曲家の選出や選曲のお手伝いさせていただいたと思っていたら、なんと文書を寄稿していたではありませんか(驚き!)しかも真面目に書いてあり、当時と今の思考にほとんどブレがないことにさらに驚きです。この機会に全文掲載しますので興味のある方はお読み下さい。(廣瀬 豊)


******************
『音に棲む社会』
1945
年は、今世紀を2分割する歴史的な年であると同時に、音楽的な分野でも、時代を分けるべく与えられた年でもある。それは、世界史の中での広島、長崎、そして様々なホロコーストほど大きく人々の心の中に刻み込まれたものではなかったが、この年を境界線として、以後の現代音楽で起こりうるカオスを象徴してるともいえる。(因みにこの年は、ウェーベルンがアメリカ軍により誤射され、12音音楽の未来を予言しながらも、その結論を自ら出すことなく、あっけなく次世代にその役目を譲ってしまった。またパルトークもこの年、亡命先のアメリカで死を迎えた。)
今世紀後半に、現代音楽の世界において様々な前衛的試みが繰り返し執り行われた。その膨大な作品の数々が現代のメディアを通し聴くことができる。
それらは、音の中にある固有の法則に基づき完成されたものであり、人間の持つ感情以前に、ある種の法則に基づき作品が形成された。そのことが戦後の現代音楽の中で特徴づけられるものであるのは、間違いないと考えられる。さらに戦後の現代音楽を見てみると、その手法の多様さに驚かされる。

今年5月中旬から6月上旬にかけ、戦後の現代音楽をリードしてきたピエール・ブーレーズの来日があり、マーラーから彼の新作まで、今世紀を代表する音楽をブーレーズという作家であり指揮者の目(耳)を通し、わずかな時間のなかで体験できることとなった。そしてその中で演奏された曲目をみると、特に戦後の現代音楽の手法の多様化を改めて感じるものであった。それは、あたかも戦後の一般社会における技術革新のあり方と人々の精神の葛藤に似たような現実であった。

ここで戦後の現代音楽がどのような手法でされたか簡単に明示してみる。
 1.トータルセリエズム:50年代前半、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ノーノのダルムシュタットの精鋭により技法の完成をみる。
 2.ミュージックコンクレート:40年代後半シェフール、アンリ等の一連の作業から発展された形態。
 3.群作法:50年代後半シュトックハウゼンの「カレ」に見られるように、音を点から群に発展させた作品。
  (因みにカーデューはこの作品のアシスタントをつとめる。)
 4.偶然性(含む不確定):50年代前半ケージにより確立される。
  以後ケージはこの偶然性の方法論のなかで自己の作品をつくり続ける。
 5.アレアトリー (管理された偶然)1957年ダルムシュタットに参加したケージの作風にショックを受け、
  反発しながらも、ブーレーズ、シュトックハウゼンにより自己の作品の中で展開された手法。
 6.クラスター:60年代前半リゲティ、ペンデレッキらの音を塊として表現した一連の作品のこと。
  特にリゲティの音は映画等で音楽的ドラッグとして広がる。
 7.シアタービース:その名称の通り、音楽的演劇の要素を持つ。
  特にカーゲルがこの分野では広く知られている。
  又別の意味でケージが偶然性の手法により後のミュージックサーカスに発展させてる。
 8.統計(確率)音楽:クセナキスにより確立された極度に数学的に音の現象をイベントとしてとらえた作品群のことをいう。
  そこから出てくる音は、ミク口とマクロが入り交じった挑戦的な音である。
 9.コラージュ:一般的にはベリオの「シンフォニア」が特徴的な例である。
  またコラージュとして別の見方でとシュトックハウゼンの「テレミュージック」「ヒネムン」等もその分類に入るかもしれない。
 
 その他、ライブエレクトロニクス、直感音楽、コンピュータ音楽、バイオフィードバック、ミニマル等、
 ここに時代の流れを表現した手法が展開された。

上記のように戦後確立された手法を羅列してみると、改めて、戦争以前の手法と明らかな異なりをみることができる。それはまさに戦後のテクノロジーと情報の進化と密接な共生関係を持ち、過去の形式の呪縛から逃れ出ようとしている点である。また作家の意識の違いも決定的に見受けられる。
戦前特にヒットラ-の台頭以前の作家は、程度の差こそあれ、国家もしくは、王国の保護を受けて活動を続けてきた。しかし、その立場が戦争のなかで脆くも崩れさり、ある者は国を捨て亡命への道を歩み、ある者は戦争・収容所(1910年代生まれの作家が極端に少ない現実)へ、さらには国家のプロパガンダとして徹底的に利用されたのである。
そして戦争が社会のヒエラルキーを崩壊させ終了すると同時に彼等は、作家以前に社会生活者として生きていかなければならない現実に直面したとは言えなくないだろうか。
そのような状態で、彼等は、社会に対する不安と幻想、そして進化し創造し続けられるテクノロジーと高密度な情報に直面し同次元的に方法論を展開させていった、それが先に示した戦後の音楽的手法の数々であある。
言うまでもなく、戦後の音楽の出発点は、ダルムシュタット国際夏期新音楽講座 (この講座は、ナチが退廃と烙印づけた音楽に対する、復興措置としてアメリカ等の援助により開講された。)でありウェーベルンであった。
そこで生み落とされたものがトータルセリエリズムと呼ばれ、メシアンの「音価と強弱のモード(1949)」に端を発し、音色、音感、強弱、音価、音源をパラメータとしてシステマティックに置き換えられる思考であり、前衛または形式主義と呼ばれている。
この手法の完成(195357)に貢献したのがブーレーズ、シュトックハウゼン、ノーノ、ベリオらの戦後のヨーロッパをして一方ではシェフェールがフランス国家放送で行った実験「ミュージックコンクレート」であった。

またこの二つの方法論とは別の次元で後にヨーロッパを巻き込む思想「偶然」が生み出された。ケージを中心とするニューヨーク一派(フェルドマン、ウォルフ、ブラウン)であった。その後の現代音楽は、これらの手法を核として相乱れ様な音のカオスを作り出していった。 (1970年代初期まで)
戦後の音楽の特徴として、もう一つ重要な事は、手法を探求するあまり、表現=手法と言うように、テーマそのものが、目的、狙い、手段を表していた。
それは極度の緊張感を体験するには、かっこうのものだが、人間としてのメッセージという意味では、何か欠落していたよれる感じる。
そしてそれは、作家自身のジレンマにも通ずる事象であったに違いない。高度に倫理化された手法は、戦時中の国家と同じ形態を示し、彼等が望んでいた新しいに新しい物への探求は、「倫理・形式」という帝国を築きあげてしまったのである。
そもそも音楽と言う形式自体が、国家的構造を表している。オーケストラの構造を見れば一目瞭然である。文記者(独裁者)である指揮者を中心に、ヒエラルキーに支えられた演奏者が躍らせられているのである。そして最も顕著なことであるが、一定のレベルをもつ演奏家の集団は、より良き指揮者を得た時に、輝かしい痕跡を残すのである。さらに、戦後作られた実験、前衛の音楽になると、作曲家=指揮者というように、作り手の方法論がフィルターを通さず、直接聴かれるようになるのであるが、一定のレベルをもつ演奏家の楽団は、より良き指揮者を得た時に、輝かしい痕跡を残すのである。
さらに、戦後作られた実験。前衛の音楽になると、作曲家=指揮者というように、作り手の方法論がフィルターを通さず、直接聴かれるようになるのである。
先に挙げた手法もそのような形で広く演奏されてきた。またそれらは、楽譜さえみれば簡単に演出できるものとは異なり、作曲家周辺のごく限られた思想と技術の訓練を身につけた人間のみが可能とした。そしてそのことが作家の名前を一人歩きさせ、音楽(作家=手法)そのものが後を追う現象が生まれてきたのであった。
また音楽的手法同士の思想的衝突も成長の過程では存在した。
それは、対岸から見る(聴く)者にとり、どこが異なり、何にこだわるか判別(しいて例を挙げるのであれば、少し聴いただけでは、セリーのシステムをき詰めた音と、偶然性で作られた音の違い識別できるかの問題)がつかないものであった。それらはあたかも、今日、世界各地で発する宗教、民族、イデオロギーの衝突の矮小化のようにも感じられる。
今ここに1945年から生み出された手法遍歴とともに、もう一つの流れを見ることができる。先に、音楽的手法の探求のあまり、人間としてのメッセージが希薄となったと記したが、それは第二次世界大戦の後遺症による、トラウマのように思われる。
音楽的手法が確立段階に入ると、作家の中には、手法の中に自己のメッセージを内在させ表現するようになった。それは戦後の高密度化された情報供給により、いながらにして劇と直面できることが可能となり、作家のジレンマとして作品という形で表現されたと考えられる。それを集めたのが今回、清里現代美術館で行われる「抵抗の音楽展」だ。
この企画に集められた音楽を聴くと、そこにあるのは、抵抗を表すために新たな手法を作り上げるのではなく、作家自身が 自分の持つ手法の中で、人間が巻き起こした悲劇を昇華させ表したものである。そして、それらは以下の形態に分類できる。

 1.手法の中にテキストを用いる。
  テキストの言葉に悲劇を受けた人々のメッセージ、詩、日記を盛り込む。
  この場合音楽的手法は、セリーでも伝統でも構わない。ノーノの場合は、セリーのパラメータとしてテキストを用い た。
 2.現象を音に置き換える
  電子音、楽器の特別な演奏方法を用いて、音で悲劇の情景を作り上げる。ペンデレッキ、ベリオ。
 3. 現象に対する思いを音楽にする。
  出来事に対する作家の思いを直接、オペラ、声楽、器楽として作りあげる。
  ブリテン、イサン・ユ、ペルト、グレッキ。
 4.悲劇が起きている現場で歌われ、演奏されたメロディーを構造の一部として機能させる。
  革命歌、反戦歌を作品の一部に機能的に取り上げる。カーデュー、ジェフスキー等、またこれらが上記の作品と異なるのは、
  特別な演奏家だけが演奏できるというものではなく、だれしもが身の周りにある楽器(ピアノ等)で演奏できるものである。
  カーデューの曲は、集会時にしばしば演奏された。
 以上の分類は、音楽的に妥当といえるものではないが、今回の企画の拠り所として参照されればと考える。

今回の清里現代美術館における「抵抗の音楽展」においては、現代音楽の分野における社会的メッセージを取り上げるが、音として取り上げた場合、一般的には、期染みのない音かも知れない。この文章でカオスという言葉を用いたが、これは一般的リスナーの耳をして言わしめる言葉である。
戦後の音楽は、思想の探求と倫理の贈り物から生まれた音であると考えられる。特に、日本という国は、表現芸術に関しては、前近代的な、鼻糞程度のプライドと、たかだか明治以後100年と少したらずの伝統を拠り所にして、排他主義に徹し、用辺と新しい何かを認めようとしない。
このような現実では、単に自分の立場を守るためだけで、再び悲劇を生み出してしまうだろう。
今回の企画は、社会的な悲劇に対する訴えを行う以上に、表現芸術の内面から出る声を展開し、そこに悲劇の本質とは何か、考える起爆剤として示すものである。