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2022/01/06 16:27

「抵抗の音楽展」この企画展の1995年、店主は第一子出産直後で殆ど記憶がありません。
フラフラになりながら二人(伊藤氏と豊)のテキストだけは文字組みしたものの、後半のディスコグラフィーについては伊藤氏のスケジュールと合わず、結局当時氏がが使用していたワープロ原稿がそのまま使われています。
当時の不可抗力なコミット不足に反省するも、文末の『この企画は戦後の区切りの日からプロローグに入り、・・・社会的な全ての行事が終って、私達の企画が始めて本格的に始まるよう計画されている。』の一文に救われる想い。読みづらいディスコグラフィーも含めデータ化して行きたいと思います。
とりあえず、巻頭のディレクター伊藤信吾によるテキストをデータ化しましたので、ぜひご一読ください。
今から27年前、強い使命感を持って企画した事が伝わってきます。コロナ禍を契機に資本主義の終焉が問われる今読んでもとても新鮮です。
(文中にもあるRainer Room)



『抵抗の音楽展』について

戦後50年が過ぎた。この半世紀私達は、この50年について何を考えてきたのか?

この半世紀を区切ったのは、あの未曾有な戦争であった。それだけにその後の社会や個人を考える上で、それが常にあらゆる問いの出発点にあったことはいうまでもない。まもなく新たな世紀を迎えようとしている今、あの理不尽な出来事に決着をつけられないまでも、せめて新たな世紀へ希望を抱かせるような教訓としての位置付けと、それを原点に据えた人間や社会に対する考察への論拠を見い出しておかなくてはならないだろう。

それにしてもわずか50年前に、殆ど全世界を き込み、天文学的な数の犠牲者をもたらした戦争があり、私達の日本が、その戦争の中心的加害者と、常に戦争のもたらす悲惨な被害者として二役を演じたとは、その痕跡すらもない現在の繁栄を見れば、俄に信じがたいことだ。事実私も含め、戦後世代の人々の間では、それは殆どイメージの世界であると同時に、その断片が遺跡のように残されているぐらいにしか感じられない人も多いだろう。 いやもっと若い人々にあっては、そうした事実すらもはや遠い過去の出来事として、その怨念にも似た「忘れるな」という言葉から身を遠ざけようとしているかに見える。

だが一度世界に目を向けるなら、世界の到る所で依然と戦争は続けられ、多くの人々に当時と変わらない悲劇が繰り返されている事実を知るのだ。その意味では、イメージの世界として無関心を装うことができる限界は自ずと明らかであり、新たな世紀のためにもそれぞれが放置してきたに等しい自らの人間としての責任について、この時代の区切りを意識しながら考えなくてはならないだろう。もしそれを怠るなら、私達の世代でも、また次の世代でも、再びあの悲劇が繰り返される可能性が十分にあるのだ。今や世界はかつてと比較にならない程、地理的距離感を失い、あらゆる情報が同時的にあらゆる辺境の場所で受信される時代であるのだから。そして冷戦構造の崩壊とともに、世界から孤立して生きることがますます不可能な時代になりつつあることもはっきりしてきている。

それにしても、今なお地球で繰り返される局地的な悲劇は、人間を英知に満ちた存在としてより、生来的に不条理性を備えた愚かな存在としての人間を浮き彫りにしているとしか思えない。実際未曾有な戦争が終結をし、際限ない破壊を眼前にして、だれもが再びこうした過ちを繰り返してはならないと誓ったはずであるのに、その後殆ど一時も戦争が絶えた時代がないのだ。私達はいったいどのような存在なのか?

再び日本に目を向けるなら、戦後50年にして経済的には世界の大国と呼ばれるまでに復興を成し遂げた。その理由としてしばしば言われるのは、日本人の精神的な強靭さと勤勉さである。しかし私はそうした短絡的で無神経な論理の展開こそ、最も警戒を要することと感じている。現に局地で勃発する多くの戦いの発端が、これに類した民族的な優秀性を誇示する考え方や、他とは違うという歪曲された民族の自立に端を発していることが少なくないからだ。

ところで、この日本の驚異的な復興については、私なりに一つの結論を与えている。それは、戦争とその引き起こされた結果への本質的な問いかけの欠落にあるというものだ。つまり日本のこの驚異的な復興が、その欠落した精神によって初めて可能だったのではないかということだ。

あの未曾有な悲劇は「敗戦」という言葉で締めくくられたが、注意深く見ればそれは「勝 利」ととなり合わせの言葉であり、言うなれば両者は、一方の言葉の副産物に過ぎないとも受け止められる。元々狂気としての戦争に 勝者も敗者もあるはずはなく、実際どちらの側にも甚大な被害をもたらしている。恐らくそれらの言葉に本質的な差はないとも言える だろう。こうした意味で、復興への決意を新たにした敗者が、わずかな時間で勝者を経済 的に追い抜くことはさほど驚くに当らないことだ。 実際あの戦争は、決して運命的な所産でも自然的被災でもなかった。そこに生じたあらゆる末端までの悲劇、限りない物的破壊と人的殺戮、同時に生じた精神的傷痕が、実は英知と理性を持ったはずの人々による欲望と錯誤、人為的な暴虐行為の積み重ねによって生じたものであることを忘れてはならない。それはまさに、狂気としか名付けようのないものだ。従って、そこに必要だったのは、戦争に加担したという自らの罪と責任と、人間の本来的な狂気と不条理な存在とに対する問いかけであった。あらゆるレベルの人々が、 様々な場でこうした罪と責任を考える必要があった。しかし実際にはどうか、自分自身の存在さえ危うくするこの問いかけが最後まで行われることは恐らく稀であったろう。多くの人々は時代に責任を転嫁し、あらゆる人々が加害者と被害者の二役を演じた例を引きながら、全てが加害者としての意識と責任の分散に結論を集約させることで、引き起こされた重大な結果に対する認識と反省を希薄化させてきたのだ。その結果、日本のように戦争に指導的立場を演じた人々が、戦後も依然と政財界の中枢にいるという在り得ない構造を可能にしたのだ。当然ながらその後は経済に奉仕する科学にのみ力点がおかれ、一方で悲劇の物的痕跡を無くすことが押し進められた。精神的には唯一勤勉さが奨励され奨励され復興は労働者の低賃金に支えられて成し遂げられた。もっとも、そのような状況の進展に疑問を持った人々がいなかった訳ではないが、そうした人々の本質的な問いかけは「健全」な社会の発展を阻害するものとして危険視され、かつての時代同様、時の権力によって非合法化されあるいは弾圧を受けてきたのだ。

それにしても、もしあの未曾有な戦争の結果について本質的な問いかけを内面化する作業が間断なく行われていたなら、経済的な投資に注がれるはずのお金の大半は、戦後の果てしない問題処理に使われ、少なくてもこのような驚異的な復興は在りえなかったに違いない。だが実際、今なお被爆者のように、何と50年間もその後遺症と闘い続け、国の保護を求め続けている人々がいるではないか。その 事実一つ取り上げてもそれが十分になされていなかったことは明らかだ。そればかりではない、その傷痕故に正常な生活を営むことができない人々が国内外に大勢存在する現実があるのだ。

残念ながら、こうした問題について、私も含め大勢の戦後世代は無力であった。いや無関心であったと批判されても仕方ないだろう。だがこの戦後の区切りは、私達が享受してきた繁栄の陰に放置してきた問題があること再び突きつけ、時代を引き継ぐ私達にその問題の精算を迫っている。この混乱と錯談を定着させ放置した人々の世代が終ろうとし、今や私達がその世代を引き継ごうとしていることは間違いない。この意味では、この問題を精算させるのかどうか、再びあの悲惨な状況を出現させるのかどうか、という答えは全て私達自身の考え方にかかっているのだ。

今回の「抵抗の音楽展」で、5人の作曲家の共同作品である「ユダヤの物語」という曲が演奏される。この曲のテキストは旧東ドイツの詩人、イェンス・ゲルラッハによるものだが、ゲルラッハは初演放送を行ったWDR放送にこう書き送ったという。[幾百万の人々への虐殺行為を償うことは今となってはできない が、このことによって、今日生きる人々は、この虐殺行為が繰り返されることを阻止するという義務は課せられていよう。]

 さて今回の「抵抗の音楽展」の企画は、 こうした私達戦後世代に突き付けられた問題を念頭におきながら、現在自分が係わっている美術館や、そこで視覚作品とともに再生あるいは演奏されている音や音楽に関して、何ができるかという問いから必然的にいきついたものであった。

私達はしばらく前に、美術館の常設展示とし て音や音楽を取り入れる試みに挑戦した。その試みの一部が、やがて現代音楽の初歩的紹介という形に変化していったが、既にその頃には、私達はこの音楽に内在する社会的メッセージに、(今回はこれを「抵抗」と呼んだが)内心大きな注目を寄せていた。この点では視覚的作品も同様であり、芸術表現における社会的メッセージの重要性は、ライナーの [ 広島シリーズ ] によって、十分すぎる程学ばされていたことであった。『芸術の社会的存在』この問題は芸術家の制作における社会への態度を示すものであり、また彼等の作品 を展示する美術館も、その姿勢を常に問われている問題となる。これらの要素は必然的に結び付き、私達は実験的にライナー・ルームでこの社会的メッセージを強く内在させる音楽を流すことで、音楽と視覚作品が共振する場を出現させながら、美術館の社会的存在を人々に伝えようと試みたのだ。そして、その 重要性を認識した上で、もっと深く、もっと広範にそれらを集めるべき必要性も同時に確信した。結果的にその確信と実際の収集活動 が、今回の「抵抗の音楽展」として結実したともいえるだろう。特にこの夏が戦後50年の節目にあたっことで、この企画はたまたま特別な意味を持つことになった。その意味では今回の「抵抗の音楽展」は、区切りの年に対する私達の態度であり、美術館としての社会へ向けたメッセージともなった。

 人間の精神に直接語りかける芸術表現は、いつの時代にも為政者にとって、大きな味方とも、あるいは敵もなったことは歴史が証明している。それは弾圧と利用の歴史でもあった。優れた芸術表現は人間に対する基本的な問いかけ絶えず試みる。人間に対する基本的な問いかけが、自由な精神を抑圧するものへの告発に向かうのは必然でもあった。 反対に、凡庸で表面的な情緒に頼る芸術表現程、権力にとって都合のよいものはなかったろう。弾圧と利用はこうして行われた。ナチズムはそれを極めて組織的に、しかも大規模に行った最も忌まわしい事例だった。ナチズムによって退廃芸術と烙印を押された作品や芸術家がいかに悲劇的な結末に至ったかは、 私達のよく知るところである。また時の政治に迎合し、プロパガンダとしての役割を担っ た芸術表現が、逆の意味で戦後厳しい批判に晒されたことも当然であったろう。芸術表現としての歴史は、こうしてその本質的な価値を選別されてきたとも言える。

ピカソのゲルニカをあげるまでもなく、視覚作品はこうした意味で極めて直接的であるために影響も反動も大きかった。それだけに、権力によって真っ先に弾圧の対象となるのもこうした視覚芸術家であった。だが、音楽表現もこの歴史を免れていた訳ではない。しかし音楽はこの点で、元々内容や表現が一層抽象的である。言わば明確な表現として聴き手に受け止められにくいという宿命を負っているとも言えるだろう。事実、音楽の弾圧の歴史をひもといても、その理由は、多くは保守派から見ての反動的表現という理由によってであり、明確な反体制や反戦の思想は見えにくい。このような意味で、今回の展示で取り上げた多くの曲が、カンタータやオペラ的な形式をとらざる得なかったことは当然であり、用いたテキストによって作曲家は、自らのメッセージを明らかにするという方法をとっている。しかし、この点で音楽そのものが人々の感覚の中枢に直接働きかける力があっても、それを是とできない批判が一方であることも否定できない。スターリンの独裁主義に奉仕したと疑問視されるショスタコーヴィッチや、ナチの協力者としてのカラヤンの例はそうした音楽表現の抽象性と曖昧さを伝える典型的な例である。美術ならば当然葬り去られるであろう、こうした芸術家の表現が依然と人々の心を捉えている事実をどう私達は 解釈していいのだろうか。それだけに、作曲家や演奏家の社会に対する日常的な姿勢が、 むしろ視覚芸術家より厳しく問われねばならないのかもしれない。

こうしたあらゆる意味で、今回の「抵抗の音楽展」に最もふさわしい音楽家としては、イタリアの作曲家ルイジ・ノーノが上げられるだろう。自らの生き方と音楽活動を通してあらゆる独裁、搾取とファシズムに抵抗したノーノだが、その音楽も決して単なる教条主義者のプロパガンダという印象は全くない。むしろ戦後の現代音楽の旗手として高い評価を得た通り、豊かな音楽空間を創造したことを確信させる作品群である。また、戦後の現代音楽に極めてユニークな地平いわれるクセナキスが、かつてレジスタンスの闘士であったことを知るなら 彼の音楽の聴き方も変わるかも知れない。一方で純然たるクラシックの演奏家でありながらカザルスのように、〈演奏〉を武器に抵抗を続けた音楽家がいたこともまた忘れてはならないだろう。しかしながら、戦後の現代音楽をリードした、最も優れた音楽家と言われる、シュトックハウゼン、ブーレーズ、ケージとい 作曲家に、こうした社会的メッセージを内在させる曲が表面的には殆どないことは、 むしろ意外であり、私達にとって大きな疑問である。新たな研究の課題となっても不思議ではない。もっともノーノのように、生涯を通し、 徹底してその姿勢を貫いた音楽家はむしろ例外である。ここに集められた多くの曲が、むしろある社会的な事件に対する怒りとか告発といったように、ある出来事に触発されて作曲に至ったことが多いからだ。また委嘱されて作曲に至ることも少なくなかった。こうした点を考えるなら、これらの作曲家の多くが、 意識的に私達と変わらず、平均的な一般人としての行動を背景にしたものであることを伺わせて、芸術家の社会的存在という意味から考えると興味深い。私達のこうした問題に対する態度の一つの答えともなるかも知れない。

 いずれにせよ、今回の「抵抗の音楽展」は何らかの反響を与えるに違いない。何故ならこうした視点での試みは国内では 勿論、全く前例がないからだ。だが今回の作品の殆どがクラシックのジャンルから集められたという点では、ある種の異論があるかも知れない。

社会的メッセージという意味では、様々な音楽ジャンルにもっと優れたレベルの作品が存在するからだ。 しかし率直にいって、それらを網羅するだけの力を現在の美術館は持っていない。しかしながらつい最近まで、時にはブルジョア階級に奉仕する性格とイメージを与え続けられたクラシック音楽が、戦後、その性格もイメージも、先鋭化する現代音楽表現に影響されながら大きく変化してきていることは、 今回の音楽展からも十分に受け止めることができるだろう。その意味でも、今回の展示が、改めてクラシック音楽のイメージに、全く別な側面を付加するかも知れないと考えている。

そんな訳で、一部例外はあるものの、今回取り上げた曲の多くが、戦後の現代音楽という流れで作られたものであり、そこにも大きな意義を見い出そうとしている。ところで現代音楽の一般的浸透という点では、難解と言われながらも徐々に一般に浸透をし始めている現代美術より、さらにその状況は後退する。実際にそれらの曲が演奏されることも極めて稀であるし、また積極的に取り組もうとする演奏家も国内では殆ど見当たらない。更に言えば、音楽の表現上の特質もあるだろう。音楽は時間芸術と言われるように、瞬時に鑑賞が可能な視覚芸術作品とは明らかに表現の方法を異ならせている。また施設や音響設備という問題もあり、肝心のソフトについても、一 一般の人達に殆ど目が届かない販路で流通してしてきた実態がある。これらを総合すると、 現代音楽の一般への浸透を実現するには、問題が余りに多いようだ。こうした意味でも、今回の音楽展が、現代音楽の豊かな発展や展開といった、新鮮な魅力を少しでも伝えられる場になればと、望んでいる。

 今回の「抵抗の音楽展」を企画して最大の収穫は、何と言っても、現代音楽家の多くが、あの未曾有な戦争に深い罪の意識を内在させながら、自己の音楽表現を高めていったという事実を確認できたことであった。その時々の狂気によって引き起こされた悲惨な戦いに疑問を隠さず、自分が有する最大の才能(武器)である音楽表現を通して「抵抗」 してきた事実に、私達は改めて学ばなくてはならないだろう。だが、私達はこうした彼等の抵抗に共感を抱きながらも、自分達は何によって平和の実現を訴え、狂気じみた戦争を終結させるかをそれぞれが考えなくてはならない。その答えを実際の行動に移すことも忘れてはならない。また、今回の音楽展を通じ、 如何に欧米の精神が、極めて敏感に社会の出来事に関心をよせながら、その出来事における人間性の在り方と、潜む不条理に疑問をなげかけ、深い精神性を獲得してきたかを、ある部分で強烈に感じさせられたように思う。 これも私達の未来を考える上で大きな収穫だ った。

それにしても私達はもっと早い機会に、例え ばノーノのような作曲家がいたことを知るべきであった。だが実際には殆ど知らされていなかったに等しいということは述べた。現在のように現代音楽の一般化が全く不十分な状況では、それを知る側の熱意の不足と言い切ることもできないはずだ。日本が世界に冠たる音楽大国であるだけに、こうした文化への接し方には、やはり大きな問題を感じない訳にはいかない。改めてジャーナリストや関係者の再考を促したい。同時に、これは日本の音楽がいかにコマーシャルベースで展開されてきたかという一つの証拠とも見られなくはなく、新たな問題も提起されるだろう。

いずれにしても、現代音楽と同様に、現代美術における一般への普及という問題と考えあわせれば、自ずと現代芸術そのものへの接し方という点で、私達の新たな課題が浮かび上がってくるように感じられるのだ。

 この音楽展が戦後50年を目的にのみ企画されたものではないということは、最初に述べた通りであるが、最後にこのような音楽展を現代美術館で開催するという意味を既述した部分に補足して、この文章を締めくくりたいと考えている。

私達は常々、時代を生きる芸術家がその時代を逆に意識させない仕事をすることは大きな疑問と感じている。それだけに、日本の芸術家の作品の多くに、この時代や社会に対する認識が極めて希薄であることは見逃せない点である。しかし私達の清里現代美術館に展示される全ての作家は、その表現においてかなりの振幅はあるにせよ、この時代や社会を感じさせない作家はいないと考えている。キーンホルツやレーバッハの作品は直接、しかも激しく時代を告発するものであるし、ボイスはむしろ、全人的活動を通して、絶えず時代を批判的に捉えながら、なお人間の創造する未来にユートピアを見てきた。これを作品で 実感した時、大きな感動が沸き上がるのを感 じないわけにはいかないが、このボイスの制作の動機に、あの理不尽な戦争の体験が根にあることも忘れてはならないだろう。そしてかつてのダダが戦争の傷痕から生じたように、時代のヒビから生じたのがフルクサスであると言えなくもない、従ってフルクサスには、戦争を含むあらゆる時代への批判と皮肉が実に日常的な表現手法で展開される。いうならば「抵抗の作品群」であるとも言えるだろう。私達はここに同じ「抵抗の音楽」が加わる事になんの違和感もためらいも持ち合わせていない。これらの音や音楽が安で叙情性を排除した上で作られ、美術作品と同様のレベルの表現力を獲得しているからだ。この美術館に展示された硬質な作品評の間で、これらの音楽が共振して聴かれることに、新たな空間の創造という意味も含めより積極的な意義を見い出している。

 戦後50年の区切りに向けて、私達の周囲では様々な社会的行事が計画されている。 だが、私達はその問いかけが行事を終えた途端に終息してしまうことを最も危惧している。

その意味では、この企画は戦後の区切りの日からプロローグに入り、暑い夏が終り、社会的な全ての行事が終って、私達の企画が始めて本格的に始まるよう計画されている。そしてこの展示は、今年一杯続けられる予定である。それはまたライナー・ルームの常設展示 に引き継がれることになるだろう。これが、 美術館を通しての私達の「抵抗」でもある。

(清里現代美術館/伊藤信吾)