2022/12/10 13:04
年末は、恩師の伊藤信吾氏が急逝した時期で、2017年に以降毎年ちょっと寂しい気持ちになります。
旧清里現代美術館は1990年に山梨県清里に開館し、2014年に閉館した個人美術館です。
当店は、この美術館のディレクターだった故伊藤信吾氏の蔵書を預かり受けて運営しています。
経緯については、過去ブログをお読みください。
https://telescopeart.thebase.in/blog/2021/05/31/174014
さて、この清里現代美術館、兄 伊藤修吾氏が清里に常駐して館長を務め、
ディレクターだった故伊藤信吾氏は東京で中学校の美術教員をしながら運営していたということはご存知の方も多いのですが、
実は伊藤家の兄弟は4人いて、それぞれ美術館を支えていた・・・ということはあまり知られていません。
今日は、この兄弟について記しておこうと思います。
元々は中野区南台に育った4人が清里現代美術館をいかに支えたか・・・
長兄 修身(おさみ)さん
清里現代美術館設立に合わせて、住み慣れた東京から同時に清里現代美術館の近くに移転。
陶房を構え陶芸家として活躍していました。1990年の開館記念パーティには修身さんの制作した掛け花をプレゼントしました。(写真)
館長を支え、美術館の運営でも色々と手伝ってくださっていました。
そして、最近この修身さんが亡くなりました。心よりご冥福をお祈りいたします。
次男 修吾(しゅうご)さん←館長
館長は、長年清里現代美術館の管理運営をしていましたので、
訪れた方の多くは信吾氏よりも館長に馴染みのある方の方が多いと思います。
現在入院闘病中ですが週に一度は電話をくれて元気な声を聞かせてくれます。
色々と進行しているプロジェクトについても、私が結論を出せないで迷っているといつも前向きに導いてくれます。
三男 信吾(しんご)さん←清里現代美術館ディレクター 2017年没 店主の恩師
清里現代美術館のコンセプト、コレクション、これらはこの伊藤信吾氏によるものです。
詳しくは過去のブログに記しましたので、ご覧ください。
https://telescopeart.thebase.in/blog/2021/11/01/171347
四男 勝朗(かつろう)さん
勝朗さんは、清里現代美術館の影の立役者。
美術館時代には表に出てくることはありませんでしたが、実は資金面では大きく支えてくださっていた方です。
今は入院中の館長に代わり作品の管理、お兄様たちのお世話をなさっています。
当店の運営、進めているプロジェクトなどについては全て任せてくださって、懐の大きな方です。
館長と同じく連絡を取り合って、色々相談させていただいております。
イベントの際には入院中の館長に代わって、顔を出してくださったり館長のためにビデオ撮影なども・・・
ということで、伊藤兄弟は4人の男兄弟だった!というお話でした。
東京の中野区南台育ちの江戸っ子気質のこの4人、店主はこの4人の会話に混じると気っ風が良すぎて喧嘩してるのかしら?
といつもドキドキ・ハラハラしていましたが、決してそんなことはなく、彼らにとっての日常会話(笑)
深いところでは支え合っている兄弟です。
最近長兄の修身さんが亡くなった際には、館長も勝朗さんも「兄弟二人になっちゃった・・・」とそれぞれ寂しそうでした。
勝朗さんは、これからもみさなんにお会いする機会もあると思うので、ご縁がありましたらどうぞよろしくお願いします。
(勝朗さんは4人兄弟の中で1番のジェントルマンなのでご安心を 笑)
店主は、まさか自分が清里現代美術館のことにこんなに深く関わるとは正直思っていませんでした。
しかしながら、最近、この本の仕事を通して知り合う方々に、「旧清里現代美術館」の影響力の大きさを説かれて再認識しているところです。そして、この4人兄弟については店主が語らない限り記録に残らないと思い記しました。
清里現代美術館がこの伊藤兄弟4人が作り出したものであったということ。ぜひお心に留めておいていただけましたら・・・
店主拝